仕事ができない
こそこそこそ
やだ〜 こっわ〜〜〜〜い
僕お布団やりましょうか!
いやわたしが!なんて〜〜〜〜〜〜
わたしはこういうことがよくある
あ、またこれだって思った時には心がチクチクしていて 仕事のできなさゆえに聞こえるところでバカにされるこの経験は初めてじゃない 例えば前のアルバイト、実習先、ならいごと
要因はわたしにあるってわかっている
だってこういう経験をしたことある人もいれば全くしたことない人もいるんだから される側になんらかの要因があるんだろう
わたしの要因はと考えるが難しい
まずいちばんは、動かないこと
何をどうやっていいかわからないの 大人のごはんひとつ盛るにしても人数やお皿がわからないから動かなくて立ちっぱなしになってしまった(勤務表の人数に沿って数えればOK 足りなかったらそのときに盛ろう)次やることに向けて子どもを促すときどのペースが正解なのか その子のペースに合わせたい一方で『こんなこともまださせられないの』って声がどこからか聞こえてくる 子どもがうまく流れに乗れるよう大人が面白い意欲をひきだせる声掛けや間の取り方ではたらきかけることで自然とペースが整うのが求められるんだろうなあ(自分もできるようになろう)
小手先の保育がこれまでは嫌いだった、でもその背景には必要な生活のスピードがあるんだなと思うと、わたしはわたしでうまく生きていかなきゃいけない(子どものペースを促す若干強力なはたらきかけが必要)
つぎに、仕事が適当なこと
ひとつひとつを正確に速くこなして、でも子どもの前では忙しい感を出さない、これが求められている姿
でも今は、判断ができなくてやることが遅くなったり、子どもをうまく促さなくてまわりを待たせてしまったり、責任を感じて焦ってもっと丁寧にできなくなっている
すべての面で丁寧に几帳面であること
わたしにとっては難しいけど、ほかのみなさんにとっては当たり前にできることだから、、わたしももっとできるようになりたい
まずは意識して時間・作業・言葉を丁寧にこなしていこう これは私生活でも培えるはず ポイントは妥協して中途半端でやめたり雑にしないこと
さいごに、コミュニケーションがとれない
自分が相手に受け入れられるなんて到底思えないから、なるべく自分のことは隠そうと思って人と関わってきたから、言葉を最後まで音声にできなかったり、必要な相談でも話しかけられなかったりする
一方でわたしがちゃんとコミュニケーション取れる場面はどんなところだろうと振り返ると、、わたしの意思や感覚が間違ってないと確証を得られている集団、組織の全貌とそれぞれの立場がよく理解できていて自分の役割を行動に反映できている集団
つまり、わたしは自分が間違っていないと安心できている環境だと、他者と存在価値が対等に話せる気持ちになり、ちゃんと動くことや意見を言うことにつながって、働くことができる
なんて傲慢だと思うけど自分が間違っていない確証を得たいのは現時点での自分の自信のなさとイコールだから 自信に変えていくしかない
わたしなんかが話して申し訳ない
わたしなんかが影響させることはできない
なんて思いながら気が引けて、子どもにも大人にもなるべく自分の影響力を及ぼさないようにひっそりする今の姿と、ひとりの大人として全体をまわして子どもを育てるかかわりを求められる姿の、ギャップがチクチクを生む
普通は当たり前に後者ができるんだろうけど、わたしは前者のマイナス思考が強くて、なかなか思うように役割を理解できない
これから具体的に改善するポイント
つづく、