休園とは
ちょっと外に出る。
外出した先で気づかないうちに感染者と接する。しばらく症状は出ない。症状が出て相談する。軽症でも重症でもそれぞれの医療機関で医療従事者が診る。命を落とさないために懸命な治療がはじまる。そこではたらく方がいる。
医療機関で働く人が家に帰る。一人暮らしの方もいれば、家庭を持っている方もいる。旦那さんや、奥さんや、子どもがいる。
一方、市民はなるべく感染しないように人との接触を減らす。外出せず家にこもる。食事をとらないと生きていけない。電気やガスが使えないと暮らしが成り立たない。玄関まで持ってきてもらうように郵送や宅配を利用する。
それを支えるために止められない仕事があり、はたらく方がいる。
出勤を減らす。通信があれば在宅でもできる仕事の人は完全リモートワークになる。少人数でも業務が成り立つ仕事の人は交代出勤となり半リモートワークになる。現場労働によって成り立つ仕事の人はリモートワークに限界がある。
だから、全員が出勤ゼロにはできない。そこではたらく方がいる。
福祉施設に住まいを置いている人がいる。障害や高齢によってひとりでの地域生活が困難な方。安心できる家がなくて保護や居場所を必要とする方。これから社会の中で自立するために今施設にいる方。
それぞれの事情があってそこで福祉的支援とともに暮らしている。そこで働く方がいる。
このなかに、仕事をどうしても休めない人は確実にいる。
このなかに、仕事をどうしても休めない人は確実にいる。
そして、保育を考える。
そもそも保育園の利用者は、保護者の就労のために子どもの日中の保育を必要としている家庭の方。当然、医療従事者、福祉従事者、インフラ関係者、半リモートワークの方もいる。
じゃあ親戚やご近所さんに預ければいいって?できるならその方が子どもの感染リスクは下げられる。だけどもちろん全員ができるわけじゃない。
だから、完全休園にはできない。
でも、休園方針を固めることで希望者だけの保育にできる。人との接触を、完全リスクを、減らすことができる。
それはそうとして、そもそも働くことは生きること。一人の人にとっては、自己実現によって人間の尊厳を守ることで、経済を成り立たせるもので、食べること。
だから本来なら必要性や至急性によって「仕事の意味」が選別されるものではないとわたしは思う。
つづく、