愛情によわい
愛情によわい
辛いときに誰かから愛情を向けられると泣いてしまう。なんで!?
いやなことが沢山重なって自分に降り注いでもうなにもかもうまくいかないって叫ぶ寸前で、気圧も低くてぐったりして、べっとりうなだれていたときに、父親がビールを持ってきていっしょに飲んでくれたり
痛むところを母親が撫でてくれたり
いま、人生ではじめて両親の愛情をしっかりと受け取ることができた気がする
完全な矢印を向けられた
するととたんに、受け止められない
あふれて泣いちゃうのも
耐性がないからか?
いとおしいね
弱いときにそばにいる人って
人間必要なんだね
そういうことしたほうがいいよって
言い続けた結果なのかね
相手を思いやるんだよ
相手には相手のかんがえていることがあるんだよって
いい続けた結果なのかな
すこしはかわったのかな
つづく、
泣く、と、風邪
職場で泣くと風邪をひく
その説、証明しつづけてます
人前では恥ずかしいから隠すようにすすり泣きだけど、静かに爆発的に泣くから、鼻水が鼻に溜まっていく。
↓
喉が痛む。
↓
鼻水。喉の痛み。微熱。鼻詰まりによる頭痛と倦怠感。
いつのまにかほんとうに風邪をひいてしまう。
いったいなぜ
泣くから風邪をひくのか。
泣くほどストレスが溜まって風邪をひくのか。
どっちなんだろう
ともかくこの体質を変えたい
どうすれば変えられるだろうか〜悩
つづく、
もらいもの
目の前でだれかが大変そうに、辛そうに、しんどそうにしている。虚な目で耳栓をして小休憩をはさむ。だれも気づかないなかで取り残された辛さを持つ人が同じ空間にいる。
気の落ち込み。
目の前にすると、移ってしまった。
きつかった。
涙が出るよりも早くその場から離れて
と、ここまで書いて寝落ちをした昨日。
つづく、
久しぶりのこういうこと
心が折れに折れて耐え難い
久しぶり。食器洗い中の父親に、汚れた水を手で顔にかけられた。臭かった。
そんなことも久しぶり。
やめてしまえよぜんぶ
つづく、
子育て
朝、久しぶりにゆでたまごをつくって失敗。それを見た父母「なんでそんなこともできないの?」「常識でしょ」「22でそれはひどい」罵声のオンパレード、じゃあ社会人になるまで火を触らせてくれなかったのは誰?
小さい頃から何をしても「そんなんもできないの?」「常識なのにできないの?」「もうその歳なのに?」
いいように捉えればアグレッシブ(笑)
でも、できるようになりたいからやらせてほしいというと「触らないで」「邪魔」
そうして残ったのは(責められるならやめよう)(教えてもらったことないのに)(どうせ自分なんて常識外れで何もできない)って、低い自己肯定感と
(できないことはよくないことなんだ)って無駄に高いプライド
自分なんて大嫌いだ
つづく、
分析と最近。
くすぶっている感が苦しい。なにかをしたい。でも、できる体力がない。あたらしいことを始めると潰れる未来が見える。いま潰れると生計の要である仕事を失うことになるのでそれは避けなければならないと思っている。
なぜ体力がないのか。身体が弱いから、というよりは、もともとキャパシティーをびちびちまで詰め込んだ生活を送っていたところ慢性的に疲れてしまって体調を崩しやすくなっている、というほうが正しい。あれもこれもとやらなきゃいけない責任を抱えるという状況でのストレスが大きくて、抱えることで苦しくなって精神も崩した。なので抱えることはトラウマになっている。抱えるものを少なくした結果、ストレスフリーな生活がやってきて、生きやすかった。いざ体調を崩したときに存分にからだを休められる状況があることにホッとした。
いろんな仕事を持っている人を見ると憧れる。だって本来ならひとつの仕事だけで満足するような気持ちにはなれないから。子どもと直接かかわる仕事だけじゃなくて、その内容や質についてもっと研究していきたいし、海外のことを知ってから日本の良さを捉えたいし、さまざまな生活文化をもっと身につけたい。保育について、未だそのすばらしさを知らない人に知ってもらったり、深い倫理観が求められる一方で狭くて価値観が凝り固まりやすい特徴があるからこそ力ある保育者のみなさまが外を見続けられるきっかけになったり、そんなことができるような表現活動をしたい。
保育雑誌でコラムを書かせてもらえないかな。それが夢で、理想だなあ。そのためにもたくさんたくさん言葉を出していきたい、誰かの目に止まらなくても止まっても構わないから外に向けた言葉を吐き続けたい。個人としてリーダーのように目立つことをするのではなくて、ただ生きていくなかで残したい。息をするように頭のなかで考えまくっていることを吐き出しつづけることで何かを蓄積できる人生を送りたい。
最近、若者の多い職場だからこそ尊敬する年長者の先輩がたと比べて思うことがある。それは、その日その時間に生かされる知識量や技術の差は見えづらいから一見するとなんの問題もなく仕事ができているように見えるけれど、圧倒的に人間の器がちがう。そして、専門性が、私的な感情や感覚で偏ってしまっていることがある。と、いうこと。
仕事でイラつくことは誰だってあるのかもしれない。だって人それぞれやりたい形を持っているから。ただ、そのやりたい形は本当にクライアントの最善に沿ったものなのか、それとも自己都合ではないのか?そこを疑わないで自己都合になっていることに気づかない人もいる。やめてくれ。と正直、思う。
そのような自分の物差しで、人に対してすぐに文句を言ったり、嫌いだと嘲笑したりする人がいる。歳を重ねてもそのままでいる人もいるかもしれないけれど、正直、若さ故もあると思う。とにかく色んな人と関わって相手の気持ちを考えて行動する、人と関わることを考え続けてきたわたしでも足りないな、と思う。みんなそれぞれいろんな経験が足りない。何かをして誰かがいやな気持ちになったから、やめよう。そういった失敗経験のストックがちがう。失敗経験を積み重ねる段階の人が多いと、全体がうまくいかないことだってたくさんある。
若い人が多い職場とは、そういうデメリットもあるんだと知った。これから育っていってほしいという願いのこもった選択ではあるが。
つづく、
夢
眠っていたらおかだくんに会う夢を見た
どこか撮影現場のある建物の階段を降りていた コンクリートで殺風景な階段を下まで.
あっ 目があった
けげんな顔をしていた
あっ変な顔をしたのはV6のファンだからです、と言うと警戒した顔を解いて、そうなんだ、と
なんとなく歩幅をあわせて降りた.
あの、最近眠れていますか?
うーん、まあ。
言葉を濁した顔も綺麗だった 眠れているはずがないだろうと言いたげな表情だったけれど建前では言えないというのが伝わってきた
どうか、無理しないでくださいね
うん
小さい子が家にいるんだものおうちでも大変だろうなあと想像して伝えた
階段の途中だったか、終わりだか、
じゃ、これで。
ありがとうございました。
握手をした。大きくて肉厚な手だった。すごくすごくあったかかった。
やけに生々しい感覚が残っている
つづく、