原点はだいじ
やりたいこと
頭がぼんやりするなかでやりたいことを考えた、なんせ今年は就職を決める年、ぼんやりなんかしていられない
…はずだが、二月早々インフル罹患。余儀なく実習が一週間遅れの開始となり申し訳なさにひれ伏しながらもあますほどの時間があります。びっくり。ぼんやり。
(余談ですがインフルってばちぼこにきっっついんですよね、数年ぶりで忘れていましたが三日間くらい魘されて記憶も意識も朦朧な日々ですよ、生命の危機を感じると祈るしかなくて疫病や不作の際に大仏を建てる日本の昔の方々の気持ちが初めてわかりました)
ようやく数日経って落ち着いて、
やりたいことってなんだろうとふと考えたときに、頭をよぎったのは、
◉ささやかだけど豊かなくらし
◉保育のために集中したい
◉自分と家族ために暮らしたい
、ということ。
こーんなに内向的爆発な夢もないんじゃないかと思えるけど、きっと地獄発症中のいまだからだろうな。本来ならもっとアグレッシブな野望が出てくると思うから今度また馳せよう。
行動より動機(原点となる想い)がそもそも大事だと思う
だから、今の苦しさはなんのため?と時折考えるようにしている いや、一種の癖だから〝してしまう〟の方が近いかも、、、
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備忘録 : 子どものことをより広く深く知りたくて決めた。まだまだ知らない世界がたくさんある。福祉から見た子どもは?社会から見た子どもは? 障がい、高齢、地域、どれのことも考えてまるごとインクルーシブにしたいと言えるだけの土台知識が欲しい。
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そう思っていた。いや、今も。
人は手段(行動)をこなしていくとその理由(原点)を忘れていく生き物だと思う。もちろん行動のクオリティを上げることは成果や実現につながるから重要だし、力の注ぎがいがある。
でも、そればかりで理由を失ってはダメだ。
何かあった時に芯がブレるし、いずれ疲労だけが蓄積していってしまうと思う。
(ダメ、という言葉は嫌いですが敢えて信念なので使います)
さあ、偉そうに語ったなかでわたしは何ができるか。何をしたいのか。考えようじゃないか〜〜
つづく、