時よ
〝時間〟
ふと、時間ってなんだろうと考える
星野源の『時よ』が代弁者
地獄(症状は名前よりこう呼ぶのが一番しっくりくる、その話はおいおい)のときは、もう時間という概念がなくなります
今が何時か、何日か、人生でどのような時期か、なんて考えられないから
これまでは時間を百パーセントあますところなく使い切らないと納得できなかった、ごろごろする時間も好きだったけど、1日に3-7個の予定を詰め込んで色んなことを実現させていくのがすごくすごく楽しかった
人との繋がりも、企画の実現も、ものごとの先を見据えながら逆算して今をつくる過ごし方が何だか楽しかったんだよねえ
でも、地獄はやってきて、
その楽しい感覚すら気付かなくなっていたみたい(今書いていてとても久しぶりに思い出したから)
ただぼんやりした脳で、ああもっとゆっくり自分のために過ごしたいと感じていたなあ
それから、なんとか社会と接点を結べるようになってからは、なるべくやることを減らしてマイペースに過ごすようになっていきました
同じ時間があっても、
その使い方は人によって異なる
わたしの使い方は?
いちばん過ごしやすい方法を見つけよう
つづく、